2010年10月 8日 (金)

万年筆の Universal Converter を発見

私はモンブラン (Mont Blanc) のStarwalkerという万年筆を唯一持っていて、インクカートリッジでのみ使ってきた。それが公式に利用できる唯一のインク供給源だったからだ。
しかし、カートリッジは量があまり多くなく、同時に、インクフローが良くないように感じていた。しかも、黒インクの質のためか、固まりやすい気もしていて、インクの使用量を気にして控えめに使うと、なおさら詰まりを起こしやすいように思えた。

潤沢にインクが使えないかと思って調べると、

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2009年2月 7日 (土)

毎日新聞「浅田真央は運が強い」という悪意(または軽率?)

毎日新聞から配信されている、四大陸カップ・フィギュアスケート女子のニュースは、「真央、運強く…安全策選び逆転銅メダル」とタイトルがついている。本文は、「浅田真は運が強い。この日もジャンプの不調は続き、二つ失敗した。だが、ライバルたちも本調子ではなく、フリー1位でSP6位から浮上し逆転銅メダル。」で始まる。

この書き方は非常に腹立たしい。記事は軽卒を通り越して、悪意であってもおかしくない。

一つには、彼女がメダルを取ったのが強運なのか?ミスをしたらメダルはほぼ絶望的なのか?違う。それどころか、ショートで失敗した後、フリーでは堂々と一位を取っているじゃないか。これは運ではなく、本来の並外れた実力と、不調の中でもそれを出すことができる意志の賜物だ。

二つ目には、冒頭から「運が強い」で書くのは何故か。まるで、過去の実績も、いろいろ運の賜物と言わんばかりの失礼さである。逆転劇は運なのか?

三つ目には、「ライバルたちも本調子ではない」というのはきちんと演技を見ての話なのか。キム・ユナがフリーで三位だったのは、運が悪かったからと言いたいのか。ユナに関して言えば、真央と比べて、ジャンプ、スパイラル、スピン、ステップのどれもが劣り、不自然な加点と採点方法の変更が今までを支えている。最近ではジャンプに減点が付く兆しが見られる。今回も、そうであった。それはフェアな採点に近づいたのであり、不運ではない。おそらくワールドの採点では、昨年と同様、それまでの大会のような不可解さが消え、キムには妥当な点数が与えられるだろう。

四つ目には、これが最大の問題かもしれないが、競技ではほとんどの女子が飛べないトリプルアクセルも入れて、大きな挽回を果たした選手に、敬意の欠片もないのである。不調、不調と書くが、その背後を理解して書いているのか。一つには膝のけがであり、もう一つの大きな問題は、スケートリンクが狭く、リンクいっぱいを使った濃密なプログラムをする選手ほど不利なのである。そういった考慮もなければ、逆に、いくつかの原因が分かっていることによる回復可能性があることへの意見もない。

来住哲司という署名記事だった。私はこのブログにそれを記録しておくことにする。

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2008年12月 9日 (火)

朝日新聞の逆切れ記事

ここしばらく驚くのは、朝日新聞の執拗な麻生攻撃である。漢字の読みについては報道も分からないでもないが、その取り扱いの大きさ(asahi.comならトップ数行以内の記事)と、嫌らしさは格別である。ニーチェが現代に生きていたら、メディアに先導されるルサンチマンを見て、驚くのではないか。

特に私が気になるのは、「xx日の首相」と題された、首相の言動を報じる記事である。首相の発言を一つ切り出してタイトルにし、まるで首相が幼稚で正当性のないことを言っているかのような印象に仕上がっている。実際はそうでもなく、普通の受け答えにすぎなかったり、あるいは、朝日の記者の間抜けっぷりを揶揄した一言であったりするのである。つまり、前者は印象操作、後者に至っては、それを逆切れして報道しているのである。これが最近まで日本の主流紙の一角にいるのは日本の恥といえよう。口調としては、夕刊の「素粒子」に見られるような、理解浅はか、論理支離滅裂、一つで全てを歪曲して一般化、最後に強烈なルサンチマンを加えて世の中を斜めに見て、一人で勝者ぶっている態度と共通している。

12月2日の記事は
「「あんた、ひっかけようと思ってるわけ?」 2日の首相
【道路特定財源の一般財源化】

 ——さきほど与党道路PTの谷垣座長が官邸にいらっしゃって「だいたい我々、PTの方向と言いますか、そういうのを総理は了解して頂いた」とおっしゃっていましたが、これは総理は既存の7000億円の交付金を止めて、公共事業に使途を限定した新しい交付金を了承したということでよろしんでしょうか?

 「あのー、いま、まだ、そこのところは、最後の詰めができていないと思いますね。途中経過を聞いたというだけで、途中経過をすべて答えるというわけにはいかない。はっきりしてるんじゃないですか? そんな深刻になるような話じゃない。はっはっ(笑)」

 ——総理がかねておっしゃっていた自由に使えるお金とは………

 「それは全然別の話です」

 ——別というのは地方交付税を念頭に置いていると。

 「基本的には……。何回も言わせないで、お願いだから。何か、あんた、ひっかけようと思って聞いてるわけ? あのね、もう1回言いますから、これ、最後にしようね。ずーっと同じ質問してるんだから。ぼくは、ずーっと、同じことしか言ってない。地方に使いやすいカネというものを1兆円というものを申し上げているんであって、いろいろ、みなさんが、例えば、公共工事って言ったって、地元、しさん、負担分のお金を払うことがありませんから、ね? だから、(記者に向かい)蔵前さんって言ったっけ? あの、蔵本さんだったっけ? あの、ところでも、そういうような問題あるはずだから、そういったときに、公共工事は、とても負担ができないからできません、というところってのは、地方を歩いてみたら、分かりますよ、ね? 東京ばっかりいないで、地方を歩くと分かるから、その、歩いてみれば、そのお金が出てくるから、だから、そういう風に自由にできるようお金をしてくださいと。だから、地方には、なるべく自由に使えるお金、というお話をしているんであって、それが、あれとは違いますか、と言ったって、僕の言っていることは、ずーーっと、同じことしか言っていません」

【米新政権】

 ——総理、総理。

 「もう、いい加減にしろ」

(以下省略)

これを見て思うのは、記者は首相の時間を無駄にしている。噛み合ない質問されて、一言文句をいわれたのは朝日新聞。名指しで。それを逆切れ風に堂々書いて出るところに感心する。

12月4日の記事は
「一般財源化「だから、途中経過です」 4日の首相

【道路特定財源の一般財源化】

 ——今まで谷垣氏(自民党道路特定財源の一般財源化に関するプロジェクトチーム座長)と自公の政調会長とお話をされていたようだったが、どのような内容だったのか。

 「えっーと、例の道路特定財源関連の1兆円の話について、与党プロジェクトチームの途中経過を聞いた、というところです」

 ——途中経過ですか。自由に使えるお金だとか、いろいろ話があったと思うが、いま現在どういう状況でしょうか。

 「だから、途中経過です」

 ——途中経過。

 「決まんのは月曜日でしょ。来年、来週の与党政調が最終的に決まんのは月曜日だと思います」

 ——それまでは、こちらで話すことは出来ないと。

 「はい」

これは首相の対応も言葉足らずだったかもしれないが、はじめから言いたいことは、「まだ決定に至っていない」ということなのだろう。それをあれこれ説明する段階ではないと。

12月9日は
「「おちょくってるようでごめんなさいね」9日の首相」

 【党内からの首相批判】

 ——総理、党内で若手中堅議員がいろいろな会合を開いておりまして、中には公然と総理の政権運営を批判する議員も出てきていますが、どのように受け止めてらっしゃいますか。

 「あのー、正直申し上げて、僕はどういう話をされてんだか知りませんけど、そら総理に対する質問? 総裁に対する質問?」

 ——……。

 「そういうの、ちゃんとさっと答えきるようにしとかなきゃだめよ。ね、あのー、正直言って、総理に対する質問なんでしょう、今の場合は。おちょ、おちょくってるようでごめんなさいね。なんとなく総理と総裁の区別ついていない質問が最近多いから言っただけなんだけど、あのー、いろんな意見が出るのはいいことだと思ってますよ。正直な、正直申し上げて。あのー、そのなんか、いろいろな動きのマイナスの面ばっかりじゃありませんから。あなたの話聞いてると、すべてマイナスの面にしか聞こえませんけれども、がんばれという声も別にあったりしますから、僕はいいことだと思ってますけれどね。いいです」

これはどうか。記者はむかっとしたのかもしれないが、これまでの質問の方がよほどむかっとするだろう。この程度で「おちょくってるようでごめんなさいね」をタイトルにするのは、朝日が自分に非はないと言っているように見える。それが大人気ない。探せばまだまだあるだろうが、今回はここまで。もう一つ、これらの記事の特徴をあげると、
——総理、総理。
とその反応 
例)
「もう、いい加減にしろ」
(首相、立ち去る)

で締めているものがあるということ。これは実況中継の範囲を超えている。内容がないのだから、書く必要もない。しかし、「俺(記者)をあしざまにして」とか、「無能な首相が逃げていくよ」という「やりきれない」雰囲気を醸し出すことに成功している。ジャーナリズム失格であることは言うまでもない。

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2008年12月 1日 (月)

NHKオンデマンド、Macでは視聴できず

>Macintoshをご利用の場合は、ご視聴いただけません。

ってどういうこと?今時こんなテクノロジーの使い方しかできないメディアサイトがあるとは。
どんなブラウザでもシステムでも視聴できるものを作ってくれよ。
しかも、料金別払いとはいえ、公共放送なんだろう?
NHK、最低である。

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2008年4月13日 (日)

日本のパンはすごい

ニューヨークに来て、中国・台湾系のパン屋に入ると、商品がまるで日本のパン屋さんのようで驚いた。ニューヨークのチェーン店に台湾系の「飛達西餅」がある。そのホームページには、オーナーが中国系のパン屋でいくつか働いたあと起業したと書いてあるのだが、それを更に遡ると、日本にルーツがあるのは間違いないだろう。

アメリカではお目にかかれないバターロールに始まって、芋が入ったパンとか、「日式」のチーズケーキとか、あんパンや食パンまである。食パンがあるから、それで作ったおなじみのハム・チーズ・レタスの三角のサンドイッチ(「三明治」という。音を真似た当て字らしい)もある。「飛達西餅」には、さらに、まるで日本かと見まがうような、ホイップクリームを使ったケーキや、ロールケーキがある。

東京の今のケーキ屋を基準にすると、かなり時代遅れの感は否めないし、ケーキの味はパンに比べると良くないのだが、それでも日本式のパン・ケーキの存在は貴重だと思う。日本のケーキはヨーロッパの伝統に追う所が大きいが、それでも、モンブランのように、独自に発達した部分もあるし、パンに至っては、これほどの多様さと、柔らかさは、アメリカでは見当たらない。ヨーロッパには旅行でしか行った事がないが、そこにもないと思う。

日本では、世界に於ける日本式のパン屋ケーキの存在価値が理解されていない。潜在需要はあると思うので、最近のラーメン屋や、少し前ではシュークリーム屋のように、どんどんアメリカに出店してもらいたいものだと思う。

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2007年11月 5日 (月)

豆腐しらたき

初めてアメリカで豆腐を買った。今までどうもインチキ臭い気がして、買う気になれなかったのだった。買ってみたら、別に悪くないが、硬い昔の木綿豆腐みたいなものだった。

それはそれとして、豆腐の棚を去ろうとしたら、女の人の手がひょいと伸びてきて、躊躇なく隣の商品をかごに入れた。それはなんと、TOFU SHIRATAKI という商品。作っているのはハウス食品のアメリカ法人だった。

正直なところ、黄色がかった乳白色で縮れたその外見は、日本人としては気持ち悪さを禁じ得なかった。パッケージには、パスタの代替食品というようなことが書いてあり、まるでパスタのような調理法も記載されていた。美味いのかも知れないが、私は当分、食わず嫌いで通すことになりそうだ。

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2006年12月28日 (木)

Macの修理 @Apple Store in USA

今年6月から使っていたMacBook Pro (15 inches, Core Duo) の内蔵カメラが機能しなくなっていたので、試験が終わった今、近くのApple Store in DC に持ち込んだ。Genius Barというテクニカルサービスのカウンターがあって、そこではiPodの使い方の質問から、バッテリーがへたったとか、様々な内容に応対している。近くにいた兄ちゃんなどは、相談の切り出しが意味不明なので聞いていると、「まずはあなたがGeniusになったことにおめでとうといいたい」とかなんとか。担当の"Genius"も唐突な内容にしばらく意味を計りかねたようだったが、男が2度程繰り返してから、「それは単に肩書きの名前です」と言っていた。

それはともかく、これは前回のカスタマーサービスについてのエントリーの続きと捉えてもらっていい。率直に言って、Genius Barでの対応に感動した。

原因の特定のために外部ディスクから起動したり、出荷後に追加したメモリーを取り除いて検証することは当然なのだが、それを滞りなくてきぱき進めて、かつ、私に検証手順と結果を随時明快に説明する仕方が素晴らしかった。他の客への対応を聞いていても、どんな客にもわかりやすくという方針が徹底していると感じられた。

修理が必要と決まった時も、バックアップを取っているかとか、このままMacをチェックインして大丈夫かとか、とにかく客である私の意向を都度聞いていたのが印象的だった。(なお、店でのバックアップにはHDD搭載iPodも使っていた。)

カメラ以外のトラブルとして、シャットダウンプロセスの最後に電源が切れないとか、バッテリー使用時にノイズが大きいとか、キーボード&マウスで入力可能になるまでに1,2分かかることがあるなど、曖昧だが要検証項目としてお願いした点も、きちんと修理依頼に書いてくれていた (註:そのうちいくつかは最新のセキュリティーアップデートで直った可能性がある)。特に、ノイズはMacBookに従来から広くみられる難点らしいので、無視されるかもと思ったが、少なくともGenius Barで門前払いされることは無かった。

そして、流れるような作業を印象づけたのには、顧客情報管理に依る所がかなり大きい。チェックイン時は、ファーストネームと、サーネームの頭文字だけ伝えて順番待ちする気軽なスタイルなのだが、いざ修理になると、シリアルナンバーから私の情報を取得して修理依頼票を起こしてくれている。私は記載の電話番号に誤りがないか確認して、サインするだけ。実にスムーズだった。最後は握手。

コンピュータの顧客満足度ランキングというのがあって、AppleはDellを凌ぐトップの常連だったと思うが、その一端を垣間見た。私も最大満足に投票するだろう。なお、顧客満足度のライバルDellとの共通点は、情報管理と、それに基づく迅速なサービスなのだと思う。考えてみれば、どちらも早い時期からオンライン販売を行ってきた。販売時の情報が、修理に際してつながっているから達成出来ることなのだろう。Appleは対面サービスがあるので、Dellより有利だと思う。

尚、私の予定修理期間は1週間だった。これも予想より早くて驚いた。

追記:Macはロジックボードを交換されて帰ってきた。所要日数は3 business days. ノイズは消えた。また、CPUとヒートシンクの接触が改善されたらしく、キーボード周辺の排熱が増した。但し、温度表示が正しくなくなってしまった。センサーの付けどころが悪いのだろう。

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2006年11月28日 (火)

カメラの修理(京セラとオリンパス)

しばらく前に、カメラの修理をメーカーに依頼して、もの作りへの愛情を強く感じたことを二つ書いてみようと思う。

一つ目はオリンパスのサービスセンターでのこと。数年使ってきたデジタルカメラのレンズに掠れ傷がつき、画面が曇るほどだったので、カメラを送って修理を依頼した。カメラはレンズの前玉だけを交換できる構造ではなかったため、レンズを取り替えるためには基盤から取り替えなければならないということで、かなり高額な見積もりになったので修理は断念した。ただ、電話をくれたサービスセンターの女性曰く、修理担当の方がカメラを開けて「(感慨深そうに)これでよく動いてるねえ」と言ったほどひどい状態だったそうだ。それもそうだろう、一度北アルプスに持っていったとき、豪雨で内部まで完全に水が浸入したのだから。液晶とガラスの間にも水がたまり、振るとちゃぷちゃぷ音がした。乾くと奇跡的に動き、目に見える問題は皆無だったが、恐らくそれが原因で、相当内部は腐食したのだろうと思う。カメラはそのまま返送してもらった訳だが、有難いことに、サービスセンターでの診断料どころか、帰りの送料も取ってもらえなかった。

二つ目は、京セラのサービスセンターでのこと。カメラをぶつけたときの不具合等で、これもカメラを送って修理を依頼した。無事直して返してもらった後、一見別の不具合かと思われることがあってサービスセンターに電話をした。(後でそれは不具合ではなく、データバックを使えるだけの電池が無くなりつつあったためと判明。)電話に出たのは、年配と思われる男性だった。年配とは分かるが、まず声が非常にしゃきっとしていて、応対も丁寧で、電話の向こうで背筋を伸ばして受話器を取っている様子が思い浮かぶようだった。機種名と症状を告げると、そのカメラのことは熟知しているように相談内容に入っていく。(この際指摘されたのは、データバックとカメラの電気接点の不良の可能性で、結果的には電圧低下と同じ症状になる。まさに的確な指摘だった。)ご存知かも知れないが、京セラは2005年にカメラ事業から撤退しており、修理部門だけが残っている。きっとこの方は、カメラの開発にも携わってきた方なんだろうなと思った。そして、今はサービスセンターにかかって来る電話まで取りつつ、今もカメラ一筋で仕事をしているわけだ。丁寧な応対を思い出すにつけ、感慨深いものがあった。コンタックスは好きなカメラだし、あと9年ほど修理期限が残っているので、それまでお世話になると思う。他のメーカーでは(ものによりけりだろうが)アルバイトが修理していると言う噂も聞くので、この件で非常に安心感も湧いた。

ちなみに、最近、ソニー・アメリカのサービスセンターでは最悪の経験をした。旧ミノルタのフィルムスキャナの不具合かとおぼしき症状を、画像ファイル付きで相談したのだが(相手はアメリカ人)、一回目の返答が「画像にあまり異状があるようには見えないけど、どうでしょう?フィルムが汚れていた訳ではないですか?」という内容だった。初回から完全に逃げモードである。ちょっと頭に来たので、他のサンプル画像も出しつつ、明らかに何かが映っていることと、映り方にパターンがあることが分かるように画像処理をし、同じことが別のフィルムでも起きたことを示し、「あなたではなくスキャナを知っているエンジニアの返事が欲しい」と書いた。返事はない。もう一度サービスセンターにメールを送ったが、やはり返事はなかった。多分、原因が分からないし、面倒だから、マニュアル的に無視するつもりだったのだろう。その後、これは特定のラボで処理したフィルムに共通なようだと思い当たり、今では原因はラボでの薬剤処理にあると思っている。(つまり、少なくともフィルム表面の汚れが原因ではない。)カスタマーセンターと言う性質上、この顧客無視の対応は恐らく旧ミノルタのものではなく、ソニー・アメリカの従来からのものだろうと思う。ソニーの修理の応対の悪さ・適当さは、他にアメリカでも日本でも経験があり、もう二度と製品を買わないと思わせるに十分だった。

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2006年11月 9日 (木)

思い出話(1)

幼稚園に入るより前に、近所の雑貨・食料品店にお使いに行かされたことがある。「初めてのお使い」だった。二十数年前の話だが、母はまさしくそういうつもりだったと思う。なぜなら、母は若い頃から不整脈があって、自分は早く死ぬと思っていたことと、それにより私が意地悪な祖父母と同居するなどの事態になってもきちんと生きていけるようにと、日頃から躾には厳しかったからだ。

距離は数ブロック先という、当時の私の行動半径の端にあり、それほど遠くなかった。お店にもなじみがあった。しかし、私が買いに行かされた物は、片栗粉だった。今これを思い出して吹き出した。そんな子供が、片栗粉!まあ、3、4歳だと子供は十分言葉を話すし、分からないでもないが、砂糖や塩ほど簡単ではない。実際、私はお店の中で、片栗粉という言葉を忘れてしまい、「砂糖みたいなやつ」としきりに言っていた。遥かに高い棚に並んだ片栗粉を指差したが分かってもらえず、「砂糖じゃないの?」とお店のおばあちゃんに言われては否定していた。そうこうしているうちに、母がやって来て、やっと買い物が出来たのだった。そのつもりだったのだろう。

お使い自体は失敗だが、「初めてのお使い」としてはいつまでも色褪せない思い出だ。

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2006年1月16日 (月)

中国のボタ山

12月に、学校のフォトクラブの集まりがあった。試験前だったので、来たのは3人。フランス人、アメリカ人、私で、そのフランス人が中国で撮ったモノクロ写真を見ていた。炭坑近辺に勝手に入って撮ったもののなかに、採掘した石炭を流して選別するベルトコンベアと、不要な石炭でできたボタ山が移っていた。

驚いたことに、彼らは石炭の選別があることと、ボタ山のことを知らなかった。私が「日本も戦後しばらくはこういう光景があった」と付け加えながら、写真に写っているものの説明をした。私も日本の写真でしか知らないのだけど。

逆に言うと、日本は凄まじい速度で近代化した国で、ほんの50年前は全く違う状況だったということを再認識させられた。

ところで、このフランス人、炭坑事務所で電話している男を撮った写真があるのだが、この男は実は警察に電話中。程なく警察が来て、連れて行かれたそうだ。在中領事館のこともあり、警察は1日で釈放するのだけど、釈放後またすぐに逮捕して連れ戻す術に長けていると言っていた。

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